さぁ~て、中南米で何しよかいのぉ~。 -7ページ目

ハトの糞

今日はリマにある学校を回って簡単な説明を受けた。

今日が申しきりの締め切りということで、どの学校に行くかの決断を今日しなければならなかった。ファミレスのメニューで一時間迷えることができるくらい優柔不断である自分にとっては、傍から見たらこいつ大丈夫かと思うくらい悩んで、リマのカトリカ大学付属の語学学校に決めた。

理由は、まあ、単純。きれい。治安が良さそう。日系人会館に近い(一応毎日通うつもりなんで)。

それで、早速簡単な口頭試験を受けてきた。

どこでスペイン語を勉強したとか、何故スペイン語が勉強したいのかとか、まあ世間話程度のこと。その結果、というか先生の判断で、クラス分けがなされた。

12クラスある中でも下の方…

まあ三ヶ月前にグアテマラで学校を通い終えてから一回もノートを開いてないという怠惰ぶりながら、何故か多少の自負はあったので、そのクラス分けにははっきりいってショックだった。

学校から出てすぐにハトに糞をかけられて、はははっ。。って一人、俯いて苦笑いするしかなかった。

まあまあこんなもんだよ世の中は。っと笑い飛ばせればいいんやけど、そんなに丈夫にはできていない。


今日は、なんだか下向きなことを書いたけど、実際そこまでダウンしてる訳でもない。

ばかやろーが、ちゃんと説明できてたやんけ、絶対に見返してやる!!とか、まあ軽く緩くのほほんとは考えてはいるし、たぶん一日寝たら嫌なことなんて忘れる便利な体をしてはずやから、明日はもっと前向きに書けると思う。

しかし、あの結果は…

ブツブツブツ…

リマ上陸

二年前に訪れた街、ペルーのリマ

二年前、初海外一人旅で、時差ぼけの僕には、見慣れぬ顔立ちの人間が溢れ、霧が立ち込め、バスが猛スピードで行き交うリマの街が、とてつもなく猥雑に映り、2、3日は眠れぬ夜が続いた。

一ヶ月の旅が永遠のように感じて、不安ばかりが増えていった。


二年後に訪れたリマの街はあの頃ほど僕を不安にさせるものではなかった。感じるであろうと思っていた懐かしさなんかも僕の胸には浮かんでこなかった。


人も変わるし、街も変わる。

僕も変わったんやろし、リマの街も変わったんやろう。


話は変わって、昨日ちょっと書いたけど、リマで語学学校に通うつもり。

メキシコ、グアテマラで通ったマンツーマンの学校とは違い、リマではクラスで進められる授業の形式をとっている。

新しい環境で勉強できると思う。

アパートを借りて、日系人の資料を集めつつ、スペイン語を勉強。

十月はこんな感じになりそう。


っと、こんなことを書いてるうちに、やっぱりまた来たんや。戻ってきたんや。っていう思いが胸に沸き上がってきた。

ただいま!っていう感じではないが、いや~、また来ちゃったよ!っていう感じ。

と、一人で盛り上がって来てしまったので、今夜は飲みにでも行こうかな?とか考える。

ポジョアサード(鶏の丸焼き)と、クスケーニャ(ビール)で…

あっ、やっぱ懐かしいや!!!!

事件、事故、南米。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050825-00000

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050928-00000021-jij-int

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050926-00000

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050913-00000

調べてみると色々あるもんです。

ハイジャック、地震、飛行機墜落、バス正面衝突。

あ~、いやですね。


ふと今日買ったチケットを見てみると、九月二十九日エクアドル・キト発ペルー・リマ行きの飛行機のチケット。

首筋あたりがゾクゾクっとした。


十月頭から大学付属の語学学校に通うため中米、コロンビア、エクアドルをかっ飛ばした。

とうとう十一ヶ月の予定の旅も五ヶ月半が過ぎようとしている。

怒涛の後半戦開始であります!!!

コロンビアの日系人

コロンビアにも日系人の方が残っていた。

カリには日系人協会と図書館などがあり、少し勉強さしてもらった。


1929年、横浜港を発った五家族二十五名がコロンビア・ブエンベントゥーラ港に到着した。

彼らは、当時最盛期を迎えていたブラジル移民や停滞期であったペルー移民とは大きく違った性格を持っていた。

ブラジル移民やペルー移民は主に契約移民(政府、移民会社などが仲介になり、農園、鉱山などで労働力として働くために渡米した移民)の形をとっていた。

しかし、コロンビア移民は三年間の試験期間後、一定の土地を日本政府より無償譲渡され、自作自営の農場を持つことができた。

ペルーやブラジルほど悲惨な状況ではなかったにしろ、コロンビアの悪条件地への移住には変わりはなかった。


コロンビア移民について計画から発展、そして現在についてHPに書きます。

ってか、まだメキシコ・タパチュラの日系人についても書いてないってのに…

すんません。ほんまに。男に二言はありません。すんません。

嘘のようでほんとの話。

コロンビアには二重レートが存在しています。

どういうことかというと、T/C(トラベラーズチェック)と現金のレートに大きく差があるということです。

この差を利用すれば現金をちょこっと多めにゲットできちゃいます。


こんな具合に…

(9/19の大体のレートがこんな感じ。)


A銀行

USドルに対して

買い:2120ペソ

売り:2260ペソ

T/C買い:2220ペソ


B銀行(正確には両替屋)

USドルに対して

買い:2120ペソ

売り:2140ペソ


であった。

まず、A銀行でUS100ドルのT/Cをコロンビアペソに換金(ペソを買う)する。

100USドル×2220ペソ=222000ペソ


手に入った226000ペソをB銀行に持っていき、ドルに換金(ペソを売る)する。

222000USドル÷2140ペソ=103.738USドル


となる。

あらあら、100ドルのT/Cが103.73ドルに変わり、なにもせずに3.73ドルをゲットしちゃったってわけ。


ただ、やり過ぎ注意。

欲を出してT/Cを全部換金直後に強盗に襲われるとか、可能性としたら大有りだからね。


こんな話ごろごろしてます。

きたぞっ!南米だっ!!だが…

今月の17日にはれて南米に入ることができました。

これもこれもすべて皆様の応援のおかげであります。

心から感謝している次第であります。


現在私はコロンビアのカリにいます。

コロンビアは危険だという噂が流布されておりますが、今のところまったく危険を感じたことはありません。

危険な場所には行かず、常識の範囲での行動していればそこまで危険な目にはあわないようです。


ここコロンビアに到着して風邪を拗らせてしまいました。

中米をかっ飛ばし、パナマで遊びまわってたのがたたってか、一度熱が引いたものの今日になってまたぶり返してしまいました。

最近体の弱りが顕著になってきていて、自分でも注意してたつもりが甘かったようです。

当分寝込むことになります。

みなさん、良い夢見てください。

皆さんの夢に忍び込みたい今日この頃。

ブエナス ノチェス!

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VIVA comida japonesa!!

日本食ってほんとおいしいですね。


こっちの食事がまずいわけではないんやけど。

何故か必死に日本食を作ったりしている。


最近挑戦した料理

生姜焼き

お好み焼き

鶏のから揚げ

餃子(皮から手作り)

gyouza

カツ丼

豚骨ラーメン(豚骨を一日煮込んで白濁スープを作製)

tonkotu

湯豆腐


コスタリカのサンホセで衝撃の食材を購入!

ポン酢

サッポロ一番の味噌ラーメン

日清の豚骨風ラーメン(中国製。猪骨って書いてあった)


日本で食えよっ!ってツッコミは無視です。断固無視です!

さてさて、今夜のおかずは何にしようかしら(新妻風)

パナマ

に無事到着しました。

中米は十日間。見所が少ないと言われている中米ですが、あまりに短過ぎました。


スキューバオープンウォーターを100ドルで取れると噂になったホンデュラス、ウティラ島(現在は200ドルぐらいだと)。
八尾出身の河内弁バリバリのエルサルバドル人(アンティグアで遭遇。見た目は中米の男。魂は河内の男。おもろい!)がロッジを経営するエルサルのビーチ。
黒人、野球、レゲエ、英語。中米なのに中米じゃないニカラグア、コーン島。

モラという不思議な布を作るクナ族の住むパナマ、サンブラス諸島。
などなど。。。

回って見たいが時間がない。

今回の旅の目的ではないので、涙を呑んでスルーです。

次回(あるんかっ!?)のお楽しみにしときます。


centoral america

honduras/copan ruinas

el salvador/san salvador

el salvador/san miguel

honduras/tegucigalpa

nicaragua/leon

nicaragua/managua

をへて

costa rica/san jose

にいます。

久久に日本酒を味わう。

明日panamaへ。