さぁ~て、中南米で何しよかいのぉ~。 -3ページ目

あぁあ、大都会。

アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスに到着。

チリの首都、サンチャゴ以来の大都会。

南米一の都会だけあって、すごいね。

何がすごいって、町のきれいさと人と車の数と夜の不気味さ。


さてさて、これからいったいどこに行こうか??

完全にこの先の目的がなくなり、アンデスの山でも登りに行こうかと画策中。

拝啓、日本放送協会様。

ウシュアイア到着から早八日。

到着後すぐに、パタゴニアでの自分苛めがたたって風邪を引いてしまった。

日本にいるときは二年に一度ひくぐらいの、よくゆう馬鹿は風邪を引かないの馬鹿ではあるけど、どうやら海外にでると頭がよくなるようで、なんだかんだこの旅がはじまって四度目ぐらいの本気の風邪だった。


風邪を引いたということで、寒い外になんて出ることができず宿に篭ってる他ない。

今、ここウシュアイアで日本でも有名な日本人宿「上野亭」に泊まっている。

アメリカ大陸縦断のバイカー、チャリダー、旅行者が目標の地として目指す地であるだけに、キッチンはもちろん五右衛門風呂という日本人にとっては最高の癒しの品が用意されている。

そして、もちろんケーブルテレビでNHKを見ることができる。


ここ八日間、今まででははありえんくらいNHKを見尽くした。

まず、「風のはるか」。正直本気で来週も見続けたいです。

土曜ドラマ「氷壁」。これおもろい。だれかビデオに取っててください。

大相撲初場所。初めてはじめから終わりまで見た。朝青龍強すぎ。

大河ドラマ。これも来週が気になる。ってか、巧妙が辻って一豊が土佐にいって終わるんかな?

お母さんといっしょ。見てると恥ずかしくなります。

ニュース。常に大雪のニュース。みなさん屋根の下は歩かないようにしましょう。なんか結構物騒なニュースが普通に報道されてる。みなさん、悪いことはホドホドに。良いことをいっぱいしましょう。


おっと、また訳のわからないことを!!

まあ、言いたいのはHNKって案外面白いってこと。


十五日現在、風邪も治り、ボンヤリ症候群も完治の方向に向かってるようです。

明後日17日にブエノスアイレスに飛びます。

その後の予定はナッシングです。


さて帰ってまたNHKでも見るかな…

思えば遠くに来たもんだ。

とうとうやって来た、南米大陸、また世界最南端の町であるアルゼンチンのウシュアイア。

四月にメキシコから始まり約九ヶ月。

野を越え山を越え海を越え、長く険しく楽しい旅だった。

さすがに到着したときはそれなりの達成感みたいなものを感じることができた。


とはいっても、ここウシュアイアからはビーグル水道を挟んでチリ領であるなんとかという島を南に望むことができる。

そう、あくまで最南端のということ。

なので、ヨーロッパ、ユーラシア大陸の最南端であるロカ岬の断崖絶壁で一つのでっかい大陸の果てに来たというような実感はここでは実際感じることができない。

とりあえず、南米大陸を南北に走る道の終わりにはいってみようと思う。


目下の目標地であったここ最南端の町についたということで、病気にかかってしまった。

末期のボンヤリ症候群である。

なんだか動くのがめんどくせーのよ。

パタゴニアで体を苛めるように動いて来たので、もう動きたくないわけ。

しかも、今ウシュアイアは一年の中でも最シーズン期で、水陸空の交通手段が完全パンク状態。

この町を脱出する飛行機は一月中はいっぱい。

バスでさえ一週間先まで予約はいっぱいという状況。

なんだか憂鬱。

まあこの軽い監禁状態を楽しんでいる感もある。


目下の目標を、最南端スタンプ集めと最南端脱出計画を練ることに絞りながら、のんびりのほほんと旅の疲れを癒したいと思う。

氷河で除夜の鐘を

パイネから夕方にプエルトナタレス戻り、次の日にはアルゼンチンのカラファテへ。

目的はペリートモレロという大氷河を間近で見ることと、この町にある日本人宿フジ旅館でうまい日本食を食いながら年越しを迎えるため。


年末年始で宿に空きベットがあるか不安だったが何の問題もなく泊まることができた。

到着日は二週間ほどサボっていた洗濯を一気にした。

サンチャゴを出て以来、船に乗って潮風に吹かれ、パイネで汗と埃と涙と涎でネチョネチョギトギトバリバリの衣類を年末の大掃除ならぬ大洗濯。

これで気持ちよく新年を迎える準備はできた。


31日の大晦日に、氷河を見に行く。

その日は快晴で気温も高く、氷河の大崩落が期待できそうだった。

まず、船に乗って大接近。

氷河の落ちそうなところで待つこと五分。

洞窟のように下部が窪んでいたところの上部がドカーンと大崩落が目の前で起こった。

ん~、なかなか幸先がいいな、にひひ。としていると、その大崩落でできた一メートルほどの波で船が大きく揺れた。

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次に展望台へ。

意外なことに船より展望台の方が近い。

100メートルぐらいの距離感だが、実際は500メートルほど離れているようだ。

高さもガイドによれば50メートルを超えるとのこと。

ちなみに幅は6キロもある。

小さい破片が落ちるだけで機関銃のようにパツッパツッパツッ。

たまにバキッという音も聞こえる。

これはおそらく氷河に亀裂の入った音。

遠くではドドドォッという音が聞こえるが目の前ではない。


二時間ほど待ち、それは突然やってきた。

奥の方の崩落に刺激され手前の狙ってカメラを構えていた、氷河がゴゴゴッと崩れ始めた。

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ドカーンと大砲のように腹に響く轟音を響かせ、あっというまに30~40メートルある氷河がやや緑がかった湖に落ちていった。

余韻のようにして氷河の作った波がの岸壁を叩いていた。


氷河というのは文字通り氷の河。

実際目の前にしても、果たしてこんな巨大な氷の塊が動くもんかと思ってしまう。

でも、半日いただけでこれだけの崩落が見れたということは、やっぱり上から下へと流れるというより、上の氷河の重みいよって少しずつずれていっているのだろう。

あとで、本を読んで見ると、この氷河は一日に2メートルほど進んでいるらしい。

なんとも流れの緩やかな河だこと。


大晦日は羊の丸焼き(コルデロ)やソーセージのバーベキュー。

食後に去年の、いや、正確に言うと一昨年(2004年)の紅白のビデオを見て、大晦日気分を味わう。

といっても、こっちの午前0時は日本では同日の昼十二時ぐらいになってしまっているのだが。

現地時間の十二時になるといたるところから花火が上がり始める。

なんでも、個人で花火を打ち上げるらしく、家の威信を賭けて花火大会である。

なるほど翌日の道端にはあの花火の筒がいたるところに転がっているわけだ。


こんな感じの年越し。

実際、一年が終わって新しい年が始まったという実感がなかった。

別に人間の生理学的にはなんらいつもと変わらない一日だけど、なんとなしかそういう節目節目は大切にしたいわけです。

氷河が大晦日の日に108回大崩落して、除夜の鐘ならぬ除夜の氷河大崩落ってなもんになったら、さらに年越しを味わえたのにな。


初めてタイマー機能というやつを使ってみます。

山と氷河と真夏のクリスマス

去る2005年12月24日。

朝一番のバスでパイネ国立公園を目指した。

パイネ国立公園にはパイネグランデ(でっかいパイネ)やトーレスデルパイネ(パイネの塔)などパタゴニア、南米大陸の爪、角、牙とでもいうような氷河で削られた山々と多くの氷河があり、その中でトレッキングが楽しめるようになっている。

だいたい大阪府ぐらいの大きさの国立公園でそのまんなかにデーンと山が腰を降ろしている。

その真ん中の山をぐるっと回るサークルと、南側のいくつかのキャンプ場を基点に『山』の字のように山を攻めるWという二つのトレッキングルートが主に整備されている。

僕は個人でテントから食料までを担いでWに挑戦した。


一日目は『山』の字の右下部分にキャンプをはり右上にあるトーレスデルパイネへ。

テント、寝袋、マット、食料を全部おいていったので、さくさく足が進む。

ズドーンと広い空とドカーンと態度のでかいパイネの山。

これを見ながら歩くのは限りなく気持ちがいい。

サンチャゴで出会った愛すべきダメ親父であり、登山家でもある人から、山は歩くもんじゃない、走るもんやと教えられ、なんにでも影響されやすいワタクシ、ほんとに走りましたよ。

マップでは四時間のところを二時間半で登りきった。

最後の崖を上りきると…

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ズドーンと青い空に向かって喧嘩を売るようなトーレスデルパイネが目の前に現れた。

塔というより、はっきりいって壁が三枚並んでる感じ。

こんな山を登る人がいるってんだから、人間てのもなかなかやるもんだね、ほんと。

一時間もしないうちに天候が崩れてきたので、キャンプに戻る。

そういや、その日はクリスマスイブ…

特製の…

インスタントメンwith わかめちゃんがイブのディナーです。

悪かぁない、悪かぁない、悪かぁない…

12月25日

翌日も晴天!

この日はテントを担いで『山』の底辺の部分を右から真ん中へテントを持って移動。

このテントを持ってっていうのが味噌ね。

テント、寝袋、マット、食料から全部一人で担ぐわけやからこりゃまた重い。

二十キロはあったんじゃないかと自分では、あくまで自分では思ってます。

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その荷物を担いで17キロの山道を歩く。

昨日の勢いはどこへやら、バテバテで何とか這いずるように次のキャンプサイトに到着。

腹減り減り腹でわかめちゃんの炊き込みご飯とやっぱりインスタントラーメンを食ってドロかヘドロのように寝る。

あ、この日クリスマスね。

この日クリスマスを感じたのは欧米人トレッカーの女の子がサンタのコスプレでメリークリスマス!!とか言ってたぐらいやろか。

12月26日

翌朝は天候が優れない。

そして体調も優れない。

しかし、ここで予定を変えると食料の問題が出てくる。

やるときはやる男、一気にパイネグランデを綺麗に眺めることができる『山』の字の中央上の部分へ。

途中のミラドール(展望台)あたりで本格的に雨が降り出す。

しかし、まだ上がある。

ここはかまわず前進あるのみでした。

そんな勇敢というか無謀な男を哀れんでか、雲は一時間ほどで一気に晴れ、太陽がまぶしく輝いていた。

しかし、上っても上っても頂上らしきものが見つからない。

地図上ではとっくにルートが消えている。

しかし、道らしきものが残っているので、行かざるを得ない。

すると、氷河になり損ねた雪(?)がたまっているところに出た。

一昨日みたトーレスデルパイネを裏から望む方になっていた。

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時間的に限界を感じ、下山。

そろそろスニーカーでは下りがきつくなってきた。

すばやくテントを畳み、『山』の字の左下部分のキャンプサイトへ。

この日は結局22キロ近く歩いたことになる。

体力的にはあと一日なんとか持ちそうだった。

12月27日

この日も天気は優れない。

しかし、昨日のことがあるので、かまわず『山』の字の左上にあるグレイ氷河まで歩く。

グレイ氷河は曇っていて、いまいち綺麗ではなかった。

まあ、今まで三日間が天気に恵まれただけ文句は言えない。

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ちなみに氷河は遠くから見ると真っ白だが、こんな氷の塊。

キャンプ場までの岐路、そろそろ左膝が痛み出した。

でも、明日は帰るだけなので、そこまで深刻なもんでもなかった。

最終日はやっぱりインスタントラーメンと特製ツナ缶炊き込みご飯。

12月28日

朝なぜか五時に目が覚める。

テントを出るとキャンプサイトの目の前の湖が真っ赤に染まっていた。

最後の日にパイネが見送ってくれてるんやろかと、湖畔で物思いにふける。

突然便意を催し、トイレへダッシュ。

前も言ったように、そのままカメラを便器の中へダンク。

朝一番の船でバス停まで帰るので、ろくに落ち込んでる暇もなくテントを片付け、船に乗り込んだ。

カメラは動かない…

バスの時間までパイネの全景を眺める丘や、大きな滝を見たが、心そこにあらず。

とにかく、カメラのことが心配だった。

最終日にこれかと、もう必要以上に落ち込んでいた。

しかし、町に戻ってみるとフラッシュなしで撮影ができた。

データも消えていない。

ほんと一人で狂喜乱舞しましたよ。

結局、五日間のうち四日間は天気に恵まれ、そのなかで最高にトレッキングを楽しむことができた。

カメラの件も運がよかったとしかいえない。

最高の五日間だった。

ダラダラと書いてしまってすいません。

なんせ、今の宿がネット使い放題なもんで。

へっへっへ!!今日は徹夜だわ。

しかし、明日1/8に、とうとう世界最南端の町ウシュアイアへ。

よしよし、きたぞ、きたぞ~!!

明けましておめとう。

だいぶ遅くなってしまいましたが、誰がなんと言おうと新年の挨拶です。

無事というかなんとかパタゴニアで年を越し、新年を迎えることができました。

今はおそらくパタゴニアで最大の町であろうチリのプンタアレナスにいます。

今更書くのは正直メンドーなんですが、2005年をまあまあの形で終わらすことができ、2006年も順調なスタートを切れたので、今日から数日かけて、年末年始の出来事をUPしていきたいと思います。

とはいえ、十日ぐらい書いてなかったので(いや、言い訳がましいですが、書けなかったんです…)、いったい何から手をつけていいやら困ってます。

今日本の大学の同級生たちは卒論で苦しんでるようですが、ぼくも苦しんでます。

って、気楽さが違うってな…失敬しました。


まあ、新年に入ったということで今日は今年の予定と抱負をデカデカと掲げてやりたいと思います。

今回の旅行についてはまず南米最南端の町、ウシュアイアを目指します。

その後、アルゼンチン、ブエノスアイレスへ行き、ブラジル、パラグアイ、ボリビア…っとまだ未定です。。

帰国予定日は三月十一日。メキシコシティーからのチケットなのでカーニバルの後南米のブエノスアイレスかリマからメキシコに飛ぶことになると思います。

帰国後は、今年で卒業の友達に遊びにつきあってもらい、就活して、お金をためて、体をいじめて、夏にちょっとした冒険をします。

まあ、2006年上半期は結構慌しく過ぎていくような気がします。


最後に抱負というほど大したものではないのですが、最近お気に入りのちょっとしたスローガン的なものを書きたいと思います。

『PLAY TILL DIE』

好きな歌手の言葉です。

今年の二月で二十二歳になり本気で子供気分ではいられなくなてしまいます。

ただ、大人になっても子供心は忘れたくない。

死ぬまで笑って暮らしたい。

一生苔むしりたくない。

転がる石に苔は生えない。


一生遊び。死ぬまで遊ぶ。


では、今年もよろしくお願いします。


みなさんにとって笑いと冒険あふれる一年になりますように。

ハードラック!?

無事、三泊の予定を四泊にし、パタゴニアのパイネ国立公園のトレッキングから帰ってきました。

四日目以外天気に恵まれ、広大で怖ろしくもある自然のなかでトレッキングを楽しみ、結構言ってますが最終日以外は今回の旅で一番楽しめた様な気がします。


報告はさておき、まず話させてください。

今日の出来事を。


カメラをトイレにダンクシュートしてしまいまして、カメラのシャッターがおりません。

一時は全く動かなくなったものの、なんとなしに日光浴をさせてみたら、なんと画像の確認と写真を撮る寸前のフォーカスまではできるようになりました。

不幸中の幸いといいましょうか。

さらなる日光浴に彼の復活を賭けるしかありません。


バス出発の時間、十分前にバス停に到着しました。

でも、バスが来ません。

何でもバスはもう出たとか。

なんでやねん。


国立公園からのバスは夕方までないので、管理人に相談するとここの職員でプエルトナタレスまで帰るチリ人がいるので、乗せていってくれることに。

ラッキー。この日初めての幸運。

と思いきや、走り出して三十分でエンスト。

とりあえずバッテリーだ、こいつが悪いんだとばかりに、チリ人職員はバッテリーをカナヅチで殴りまくる。

そして何故か復活。

しかし、やっぱり日産も殴られてるだけの馬鹿じゃねえ。二分で二度目のエンスト。

しかし、今度も暴力には勝てなかったようで、カナヅチ攻撃でほんと不思議なことに復活。

しかししかし、やっぱりメイドインジャパン、日の丸の誇りに賭けて三度目の反抗を。

今度はいくら殴っても言うことを聞かない。

チリ人も南米経済大国の誇りを掲げ、今度はおもむろにバッテリーから出る配線を引っ張り出し、プラグから配線を引きちぎり、そして、テープで止め合わせる。

世界七不思議に加えてもいいぐらい不思議なことに、何故かエンジンが機嫌を取り戻すのである。

彼の不思議な力のおかげで無事プエルトナタレス、四日ぶりの文明の町に到着したわけではあるけれども、彼に感謝する反面、ほんと今日という日を呪いたい。

今年最後の最後に落とし穴の日になってしまった。

ただ今年の最後の最後の最後にはきっといいことがあると期待しながらも、チリ人には絶対デジカメの修理は任せたくないと思う自称ハードラックには負けない男powerwoodsであります。


ちなみにパイネの写真は生きているので、後日報告。

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すっかり、山男になってしまった風のお気に入りのショット。


明日、こうなったら破れかぶれだ的な勢いで、氷河で有名なアルゼンチン、カラファテへ。

旅行者的養成の船旅

プエルトモンからの四日間の船旅を終え、プエルトナタレスに到着しました。

南緯45度を超えて、世界地図上で見ると同緯度上にはもう他の大陸、島はない。

南極大陸があるにしても、ほとんど南の果て。

なんとも遠くにきたもんだ。


さてさて、船の旅はというと、なんともきつく、またある意味では楽した旅でした。

一日目は天気に恵まれ、のんびりとした船旅を楽しんだものの、二日目外洋の太平洋に出たところで天気が一変し雨が一日中降り海は大荒れ。

いくらフェリーといえども一日中大きく揺れ続けた。

ゲロッパ炸裂という本格的船酔いはしないものの、身体の中心が常にグラグラしてあまり気分がすぐれない状態が続く。

外に出ても雨の中荒れ狂う海しか見えない。

ラウンジは込み入っているので一日中ベットで本を読んだり、気の向くままに眠ったり。


食事は毎朝昼晩しっかりどっしり確実に出てくる。

旅行者にとってはこんなに喜ばしいものはない。はずが…

揺れる船の中、毎食三食を食うってのはなかなかむずかしいもんだ。

さらに旅行中、一食だけで食い溜めて済ます日があったり、移動でクッキーだけだったりと偏った、不規則極まりない食生活をし続けていたため、朝昼晩と三食決まった時間に空腹というものがなかなか訪れない。

しかし、目の前に半食べ放題状態に並んでいる料理を目の前にするとついついわき目も振らず、一心不乱にがっついてしまう。

そんな旅行者の性。

恥かしがらず胸を張ります。


満腹になり、一息つくとすぐに次の食事。その食事で満腹になり、また次の食事で満腹に。

常に満腹状態の胃を船の揺れがグルグルとかき回す。

消化にいいんじゃないかとも思いながら、やっぱりちょっと気持ち悪くなって、ベットに潜り込む。


そんな食事と睡眠に満ち溢れた旅行者的養成の四日間。


ちなみに景色は最高にきれいでした。

チリ南部の氷河に削られてできたと思われるフィヨルド地帯。そして、大氷河。

特に朝日の出る時間帯の静かな海を甲板から眺めるのは、なんとも身体が清くなっていくような気がし、静かな気持ちになれた。

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氷河の写真はこれからもっとでかい氷河が見れるやろうから、後日のお楽しみに。


明日から、三泊四日。もしくは四泊五日でパイネ国立公園のトレッキングに行ってきます。


クリスマスを恋人と過ごす人、家族と過ごす人、一人明石家サンタを見て笑う人、アルバイトでカップルを接客して涙を流す人、死ね死ね団の徒党を組む人。よきクリスマスを。

FELIZ NAVIDAD!

ボンボワイヤージュ!

いやはや、四日連続で日記を書くとはなかなか気持ちのいいもんです。

よく考えると、いや、よく考えんでもここ三日間のは日記と呼べるようなもんじゃないにしろ、マッパになったような感覚が気持ちがよい。

どうもソフト露出狂の気があるようです。


mapppa

さてさて、今日はとうとうチリプエルトモンからプエルトナタレスへの船旅にでます。

ルートは右の地図参照。

まりあえず、ガンガン下って、パタゴニアの200人ぐらいが住む村を見たり、でっかい氷河を見たりして、三泊四日かけてパタゴニアのパイネ国立公園トレッキングの拠点となるプエルトナタレスまで行くというコース。

料金は学割が効いて310USドルぐらい。

多少割高といった感じだが、陸路でアルゼンチン側を通って(チリ側に大きな道はなし。)二三日かけて行くと100USドル近くかかるようなので、宿代、食事代を考えると、決して高すぎはしないだろう。まあ船のほうがのんびりできるし、ついでに氷河も見れるし、いいやろうってことで決断しました。

超豪華客船とは僕の妄想の世界で、今日見てきたら案外普通のフェリー。

寝室は二段ベット二個のドミトリー。もちろんスイートクラスもあるけど。

そして、欧米人の山山山。。。

チリ人ぽい人もいなく、ましてや日本人などいない。

みんな英語でガヤガヤとやっている。

多少不安にあるけど、まあQUE SERA SERA(ケセラセラ)でいってきます。

http://navimag.com/navimag/html/index.htm

興味のある人はどーぞ。


三日間は船の旅で書けず、プエルトナタレスに着くと一日、二日おいて三泊ぐらいでトレッキングに行くつもりなので、ここ一週間で一回しか更新できないと思います。

更新なしでもたぶん元気に生きてるんで、気長にお待ちください。

では、ハッピークリスマス、フェリスナビダー!!

ごきげんよ~!!

たまには風まかせ。

どーでもいい話をさしてください。


ふと気になってM-1グランプリの決勝戦のメーンバーをググりました。

まあ、順当な顔合わせって感じか。

チュートリアルとか関西限定チチンプイプイ、せやねん、止まりやとおもっとったけど、がんばってんや。

しなしょうにがんばってほしいです。

まあ、普通に行けば南海キャンディーズかな?


日本お笑い界もこの一年で大きくかわってるんやろな。

特に気になるのが「フォー」の人。

実は見たことありません。

ハードゲイってのが名前ですか?

フォーっていえば藤井隆のしか思い浮かびません。

あと、YAHOOニュースで「中田(サッカーの)、ハードゲイに間違われる」的なニュースが写真つきで掲載されていた。

ってな、訳で僕の中では中田秀さんが藤井隆風にフォーってやってるのしか思い浮かびません。

帰るころにはテレビからは消えてるやろうから、僕の中ではハードゲイという人は一生藤井隆風中田秀さんのフォーで残ることやろうな。

いちいち検索する気にもならんし。

中田秀ファンの方であんなやつと一緒にするなお思いの方は、ハードゲイさんの写真添付の上メールください。

混迷を極めた日本社会、逆の場合もあるでしょう。もちろんハードゲイファンの方からでもオッケーです。


ほんとどーでもいい話。